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大阪高等裁判所 平成6年(行コ)75号 判決

京都市伏見区深草大亀谷八島町二七番地

控訴人

宮崎和子

右訴訟代理人弁護士

出口治男

京都市伏見区ヤリヤ町無番地

被控訴人

伏見税務署長 福井大祐

右指定代理人

中牟田博章

的場秀彦

湯田昭児

八木康彦

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の申立

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2(一)  控訴人の昭和六二年分所得税について、被控訴人が、平成元年六月一三日にした総所得金額三五〇万九五八五円、分離長期譲渡所得金額一六八四万二七三〇円とする更正処分のうち分離長期譲渡所得金額四四八万四〇〇七円を超える部分並びにこれに対応する過少申告加算税賦課決定処分を取り消す。

(二)  控訴人の昭和六三年分所得税について、被控訴人が、平成元年一一月三〇日にした総所得金額二七三万七〇五六円、分離長期譲渡所得金額七八七三万六三八〇円とする更正処分のうち分離長期譲渡所得金額一五九四万七二七六円を超える部分並びにこれに対応する過少申告加算税賦課決定処分を取り消す。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

以下に付加するほかは、原判決の「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人の主張

1  甲、丁土地の事業資産性について

(一) 控訴人は、昭和五九年頃から、訴外千代田土地株式会社(以下「千代田土地」という。)が、甲、丁土地を含む旧五四番地を工事用車両の駐車場として無断使用するようになったので、甲、丁土地を貸駐車場として千代田土地に賃貸することとし、京都市伏見区農業委員会に転用目的を「露天駐車場」とする農地転用届出をして、昭和六〇年一一月二七日に受理され、昭和六一年四月頃には、甲、丁土地を含む本件協定対象土地についての宅地造成工事も完了し、甲、丁土地は、露天駐車場として、名実共に使用可能な状態となった。

そこで、控訴人は、千代田土地に対し、幾度となく賃貸借契約の締結を求めたが、同会社は、無断駐車を続け、遂に賃貸借契約に応じなかった。

そして、昭和六一年夏以降、区画整理事業の道路が仮舗装されたため、以後、千代田土地関係の車両は道路上に駐車するようになり、甲、丁土地での駐車をしなくなったが、その頃から、同会社の建設現場から出る廃材、塗料、セメント塊、石等の廃棄物が甲、丁土地に投棄されるようになり、駐車場としての使用を一時中止したまま、甲、丁土地の譲渡に至った。

しかし、控訴人としては、甲、丁土地を譲渡するまで、これを貸駐車場として使用する意思を有していたものである。

(二) 租税特別措置法三七条一項にいう事業用資産にあたるかどうかについては、事業への供用が停止された場合においても、その後相当の期間は、いまだ事業用資産としての性質を失わないものと解すべきであるところ、甲、丁土地は、昭和六一年四月頃に事実上事業の用に供し得る状態になった以上、その時点から「相当の期間」内に譲渡が行われていれば、その間現実に事業の用に供されていなくても、なお事業用資産としての性質は失われていないというべきである。

甲、丁土地については、事業の用に供し得る状態になった時期から本件譲渡までの期間は一年半程度であり、その間、以下のような事情があったことを考慮すれば、甲、丁土地は、本件譲渡当時なお事業用資産であったと認めるべきである。

(1) 事業への供用を行わなかった事情

控訴人は、前記のとおり、「露天駐車場」を転用目的とする農地転用届出をして受理されているが、そのことによって、控訴人が甲、丁土地を露天の貸駐車場として使用する意図は明確であり、かつ、その駐車場が「露天」のものであることも明白である。

当時の甲、丁土地付近は、分譲住宅建設途上であって、住民はほとんどなく、したがって、駐車場を利用するのは千代田土地関係の車両しか予測されない状況であったから、貸駐車場としての工事、設備等の必要はなかった。

また、控訴人は、千代田土地との間で貸駐車場契約を締結することを目論んだものであり、千代田土地に駐車場契約を締結するように誘導する目的で、訴外株式会社岸本産業をして、甲、丁土地に同会社名の「管理地」という看板を設置させた。

本件譲渡の時点において、甲、丁土地が現実に駐車場として使用されていなかったのは、前述のような千代田土地の不法な廃棄物投棄により、一時的に使用が妨げられたためであって、客観的に駐車場としての使用が失われたわけではない。

しかも、控訴人が、甲、丁土地を事業へ供用しなかったのは、右のような千代田土地の違法な行為により、これに対する対応に追われていたからであり、社会通念に照らし、事業へ供用していないことにつきやむを得ない事情があった。もし、千代田土地が、控訴人の求めに応じてただちに貸駐車場契約を締結していたならば、当然甲、丁土地は事業用資産として認められていた筈である。

(2) 買い換えの準備活動状況

控訴人は、特別養護老人ホーム建設のための資金を必要とし、甲、丁土地を売却すべく、買い換えのための必死の準備活動をしていた。

(3) 事業用資産としての性質

事業内容は露天駐車場であり、これといった施設、設備等の必要はなかった。

(三) 以上のように、甲、丁土地が事業の用に供されていなかったのが、控訴人の意思によるものではなく、千代田土地の違法な行為によるものであり、また、控訴人は、その間無為に過ごしたわけではなく、精一杯の努力をして売却にこぎ着けたものであることなどの事情を考慮すれば、甲、丁土地は、本件譲渡当時、客観的には事業用資産性が保持されていたと見るべきであり、租税特別措置法三七条一項の適用を認めるのが相当である。

3  乙、丙土地の事業用資産性について

(一) 乙、丙土地は、昭和五五年二月八日に換地処分がなされているけれども、控訴人は、当時、右土地の水路問題で、本件土地区画整理事業を行った京都市桃山東土地区画整理組合(以下「土地区画整理組合」という。)と交渉を重ねていた。

そして、右換地問題については、控訴人と土地区画整理組合との間で本件協定(昭和五五年一月一七日付協定書)が締結され、控訴人は、右換地に対する異議を撤回することになったけれども、土地区画整理組合は、本件協定による義務を期限内に履行せず、債務不履行の状態にあったのであるから、控訴人が、本件協定によって一旦撤回した右換地に対する異議をまた申立てることは決して不当なことではない。

(二) 乙、丙土地の従前の土地は農地であったが、農地に対する換地(乙、丙土地分筆前の旧古御香町一一一番地)の中に水路が含まれているということは極めて異常なことで、欠陥換地であり、これについての控訴人の土地区画整理組合に対する要求はもっともなものであった。

右水路の問題があるために、控訴人は乙、丙土地を売却しようとしてもできなかったし、更に、右換地は地目が田であって、宅地として売却するためには農業委員会による農地転用の許可が必要であったが、土地区画整理組合との対立が続く中で、その許可が得られる見通しもなかった(土地区画整理組合は、乙、丙土地の農地転用を妨害していたものであり、そのことは、昭和五八年中に控訴人が乙、丙土地を売却しようとしたのに、農地転用の許可がなされなかったため、断念せざるを得なかったこと、土地区画整理組合の役員が農業委員会の委員をしていたことなどから、明らかである。)。

土地区画整理組合は、控訴人の保留地との交換要求を拒否し続け、すべての保留地を売りつくしてしまい、保留地との交換という形での解決は不可能になったため、結局金銭解決の方法しかなくなった。

そこで、控訴人は、換地(旧古御香町一一一番地)のうち、水路部分を切り離し、それ以外の土地を分筆して、乙、丙土地として売却するに至ったものである。

(三) 右のような次第で、控訴人は、乙、丙土地の換地の仕方について、異議を申立てていたのであるから、乙、丙土地を使用せず、また、使用できないことは当然であり、乙、丙土地は、社会通念上使用収益も処分もできない状態にあったというべきである。

そして、前記のように、土地区画整理組合が、保留地の処分を完了し、控訴人との話し合いの道を完全に閉ざし、もはや控訴人の乙、丙土地の処分を妨害する必要もなくなった時点において、ようやく乙、丙土地の処分が社会通念上可能になったものである。

したがって、控訴人が乙、丙土地を処分することが可能になった時期は、土地区画整理組合が全保留地の処分を完了した時点である昭和六一年末頃であったとすべきであるところ、乙土地の本件譲渡は昭和六二年一二月一一日、丙土地の本件譲渡は昭和六三年五月二六日であり、それぞれ右にいう処分可能時点の昭和六一年末頃から一年ないし一年五月が経過しているが、この期間は譲渡のための準備期間であって、右各譲渡の時点では、乙、丙土地は事業用資産(農地)であったと認めるべきである。

二  控訴人の主張に対する認否と反論

1  控訴人の主張は、いずれも争う。

2  控訴人の主張は、実際に事業の用に供しなくとも、事業の用に供さなくなってから「相当期間」内に売却(買い換え)すれば、事業用資産性を保持しているものと認められ、租税特別措置法三七条一項のいわゆる買い換え特例の適用がある旨の主張と理解される。

しかし、事業用資産であるというためには、「現実に継続して自己の事業の用に供していたものであることを要する」のであり、仮に、「現実に供用が停止された後も、相当の期間はいまだ事業用資産としての性質を失わない」としても、そのような例外的要件は、「事業の用に供している」と同視すべき場合にのみ適用されるべきである。

3  甲、丁土地については、隣接する道路が京都市へ移管された昭和六〇年一二月一三日以降は、事実上も使用収益及び処分が可能であった。したがって、その時点から甲、丁土地の売却までの期間は、甲土地については昭和六二年一〇月二日(引渡は同月二〇日)までの約一年一〇月、丁土地については昭和六二年一二月一一日(引渡は昭和六三年一月五日)までの約二年である。

そして、控訴人は、その間甲、丁土地を貸駐車場として事業の用に供しようとしたが、千代田土地の違法行為によってそれができなかったという事情により、従前の土地についての事業用資産性が継続していると主張するが、従前の土地の事業用資産性は農地としてのものであるところ、控訴人の主張するように甲、丁土地で行う事業が貸駐車場であるならば、その時点で事業内容が変換されたことになり、従前の土地についての事業用資産性は切断されたことになるから、甲、丁土地については、農地としての事業用資産性は失われたというべきである。

また、控訴人が甲、丁土地について貸駐車場としての事業用資産性を主張するものであるとしても、駐車場としての賃貸借契約も存在せず、料金収入もない以上、控訴人が駐車場経営の意図をもっていたというだけに過ぎず、それだけで事業の用に供しているとはいえないのみならず、甲、丁土地を貸駐車場として経営すべく計画していたというのであれば、甲、丁土地を売却する予定はなかったことになるから、その間、甲、丁土地につき買い換えの準備活動を行っていたこともなかったことになる。

したがって、控訴人は、甲、丁土地が事実上も使用収益及び処分が可能となった昭和六〇年一二月一三日以降、これを放置し、何ら事業の用に供していなかったのであるから、事業用資産とは認められない。

4  控訴人は、乙、丙土地について、換地処分の後も、換地内に水路があった問題について、保留地との交換を要求するなど土地区画整理組合と係争中であったため、使用収益や処分が不可能であった旨主張するが、乙、丙土地は、昭和五三年七月一日の仮換地指定後ただちに使用収益が可能になり、昭和五五年二月八日の換地処分後は法律上も処分が可能になった。

それにもかかわらず、控訴人が乙、丙土地を使用収益しなかったのは、事業の用に供することができなかったからではなく、保留地と水路との交換要求を有利にすすめるため、また、もともと控訴人は乙、丙土地を売却処分するつもりであったため、あえてそうしなかったに過ぎない。

乙、丙土地の本件譲渡は、法律上も処分が可能になり、かつ、事実上事業の用に供し得る状態でもあった昭和五五年二月八日から七年一〇月以上も経過してから行われているのであって、到底買い換え準備のための相当の期間内であったとはいえない。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所も、控訴人の本件請求を棄却すべきものと認定判断するが、その理由は、以下に付加するほかは、原判決の「第三 争点に対する判断」記載のとおりであるから、これを引用する。

当審証人岸本汎巧及び同天野博の各証言も右認定判断を覆すに足りず、ほかに右認定判断を左右するに足りる証拠はない。

二  甲、丁土地について

1  控訴人は、甲、丁土地の事業用資産性について、種々主張するが、要するに、甲、丁土地を含む本件協定対象土地についての宅地造成工事が完了した昭和六一年四月頃に、甲、丁土地は、露天駐車場として、名実共に使用可能な状態となった後、その後本件譲渡が行われるまでの間、貸駐車場が実現するに至らなかったけれども、その間貸駐車場としての事業の用に供すべく、千代田土地に対して貸駐車場契約の締結を目論んだが成功しなかったばかりか、工事現場の廃棄物を不法投棄するなどの違法行為によって、貸駐車場としての事業の用に供することが妨げられたためであるから、そのような事情を考慮すれば、その間は甲、丁土地の事業用資産性は失われていないとすべきであるというものである。

2  しかし、前記認定のとおり、控訴人は、甲、丁土地について、昭和六〇年一月二七日に「露天駐車場」として農地転用届出をして受理されているのであるから、その時点で、従前の土地について行っていた事業である農業を継続する意思を有しなくなったことは明らかであり、以後農地としての事業用資産性は消滅したものというべきである。そして、その後、控訴人は、前記の経緯で、甲、丁土地を貸駐車場として利用することを計画したが、その新たな事業計画は、結局、実際に成果を見るに至らなかったことは前記認定のとおりである(原判決三〇頁一行目から三一頁三行目まで)。

証拠(原審証人古家野泰也、当審証人岸本汎巧、原審における控訴人本人)並びに弁論の全趣旨によれば、当時千代田土地の工事関係車両が無断で甲、丁土地に駐車していた事実はあったけれども、その頃は、まだその界隈では、他の一般車両が駐車場を利用するような状況ではなく、控訴人の貸駐車場計画というのも、もっぱら千代田土地の無断駐車対策のためであって、広く一般の利用が期待されるようなものではなかったし、しかも、その千代田土地に対しても、ただ駐車場契約をするように交渉をしていただけで、駐車場契約が成立するには至らず、実際に貸駐車場として使用が行われたことは一度もなかったうえ、特にそのための土地の整備や施設の設置などが行われたこともなく、したがって、甲、丁土地が客観的に事業の用に供されているものと認められるような外形的状況もなかったことが認められる。

当審証人岸本汎巧の証言によれば、控訴人から甲、丁土地の売買仲介を依頼された不動産取引業者の株式会社岸本産業が、控訴人の了解のもとに、甲、丁土地に、同会社の名で「管理地」という看板を設置していたことが認められ、控訴人は、その看板設置が、千代田土地に対して駐車場契約を締結するように誘導するためのものであったと主張するが、その程度では事業の用に供していることを示す客観的な状況があったとはいえない。また、控訴人は、露天駐車場であるから、特別の施設の設置は要しないと主張するが、そうであっても、甲、丁土地に事業供用の客観的状況がなかったことには変わりはない。

以上の事実によれば、結局、甲、丁土地の貸駐車場事業は、控訴人の単なる主観的意図ないし計画の程度に止まり、甲、丁土地が客観的に事業の用に供されたことはなかったものというほかはない。

3  控訴人は、千代田土地の違法行為によって利用が妨げられていたという事情を考慮すべきであるとも主張するが、前記認定のとおり、控訴人の貸駐車場計画が、そもそも千代田土地の無断駐車に対する防止策として計画されたもので、広く一般の利用が期待されるようなものではなかったのであり、同会社が貸駐車場契約の締結に応じようとしなかったために、控訴人の無断駐車防止策が功を奏しなかったということに過ぎず、甲、丁土地の事業用資産性を認めるべき事情として特に考慮すべきものとは考えられない。

4  したがって、甲、丁土地については、昭和六一年四月頃には、従前の土地に行われていた事業である農業は廃止され、その後新たに事業の用に供された事実もないうえ、その間事業の用に供されなかった理由など前記認定の事情からすれば、本件譲渡当時、事業廃止後事業用資産性を失わない相当期間内であったとはいえず、租税特別措置法三七条一項を適用すべき事業用資産性があったとすることはできない。

三  乙、丙土地について

1  前記認定のとおり、乙、丙土地については、換地処分がなされた昭和五五年二月八日には、事業の用に供し得る状態にあったものであるところ、本件譲渡がなされるまで、七年一〇月以上も経過しており、到底買い換え準備のための期間とはいえないのみならず、その間、控訴人において、乙、丙土地を事業の用に供していた事実はないから、右譲渡の時点で事業用資産性があったとは認められない。

2  控訴人は、乙、丙土地の換地処分について、土地区画整理組合との間で、その換地の仕方について異議を申立て、保留地との交換などを求めて交渉中であったため、社会通念上使用収益も処分もできない状態であったもので、土地区画整理組合が保留地の処分を完了し、控訴人との話し合いの道を完全に閉ざした時点である昭和六一年末頃に、処分が可能になった旨主張する。

しかし、前記認定の事実(原判決一六頁七行目から二四頁一行目まで)のほか、証拠(甲第三ないし第八号証、第一四ないし第二二号証、第六一ないし第八二号証、第一三二ないし第一三七号証、第一四五号証、原審証人古家野泰也、原審における控訴人本人)並びに弁論の全趣旨によれば、控訴人は、昭和五三年八月二四日付で、京都市長に対し、土地区画整理組合による本件仮換地指定について異議があるとして審査請求をしたのを初めとして、更に、右仮換地に対する昭和五四年一二月八日付意見書を土地区画整理組合に提出したが、その中に既に仮換地内に水路が存在することについての不服を記載していたものであるところ、前記認定の経緯で、昭和五五年一月一七日に、同組合との間で本件協定(昭和五五年一月一七日付協定書)が締結され、それに伴って控訴人は右意見書に記載された本件仮換地についての不服を撤回したこと、本件協定において、昭和五五年一二月までに完了することと定められていた同協定書第二条所定の宅地造成等の工事が遅れ、更に、その造成工事未了の間に換地処分が行われたところから、土地区画整理法に違反する結果となり、工事対象区域内の道路も市の認定道路とすることができないという事態になり、そのため、土地区画整理組合から、本件協定による工事が、都市計画法二九条の開発行為に該当するとともに、宅地造成規制区域であるため、開発行為許可及び宅地造成工事許可を必要とし、また、当該工事の費用が当初予想を大幅に上回るため、控訴人において一部負担することが必要である旨の申し入れがされるなど、土地区画整理組合及び財団法人京都市土地区画整理協会(以下「区画整理協会」という。)と控訴人の代理人である古家野弁護士との間で折衝や協議が重ねられていたが、控訴人は、昭和五七年一二月二八日付で、京都市長に対し、本件換地処分や本件協定の不当性などを主張して本件換地処分の取消又は変更を求める審査請求をし、同市長は、昭和六一年九月二二日付で、審査請求期間を経過しており、かつ、審査請求期間内に審査請求をしなかったことについてやむを得ない理由が認められないとして、右審査請求を却下する裁決をし、控訴人は、これに対し、更に、昭和六一年一〇月二四日付で、建設大臣に対し、再審査請求をしたが、同大臣は、平成元年三月二日付でこれを棄却する裁決をしたこと、区画整理協会は、昭和六一年七月一七日付で、控訴人の要求に対する回答をしたが、その中で、右換地内の水路問題については、従前地の民有水路の帰属について控訴人と隣接地所有者の間にくい違いがあり、協議のうえ民有水路はすべて控訴人の所有として地区界が決定された経緯があり、したがって、本件水路は事業計画において整備すべき公共施設とはなっていないので、宅地として控訴人に換地されたものである旨説明していることが認められるほか、前記認定のとおり(原判決二二頁六行目から二四頁一行目まで)、結局、昭和五八年八月二六日頃、控訴人と土地区画整理組合の間で、本件協定対象土地の造成を二次開発(都市計画法二九条の開発行為)で行い、その費用は土地区画整理組合が全額負担するという合意が成立し、昭和六一年四月頃には本件協定対象土地の宅地造成が完了したが、その後、控訴人は、昭和六〇年二月頃から、代理人である古家野弁護士を通じて、区画整理協会に対し、本件換地処分及び二次開発に関して、右換地内の水路問題などの不平不満についての解決を要求するようになり、これに対し、区画整理協会では、昭和六一年七月一七日付で、控訴人の要求をいずれも拒否する旨回答したことなどの経緯から明らかなように、乙、丙土地について、換地内に水路が設置されていたという控訴人の不服に関しては、本件協定を含む土地区画整理組合との間の様々な折衝や協議を経て既に解決を見たほか、本件換地処分に対する審査請求手続などの法的手続おいても解決済であって、本件協定所定の造成工事が所定の完成時期より相当遅延したという事態があったにせよ、その問題も含めて昭和五八年八月二六日頃までにはすべて決着がついていたものであり、それにもかかわらず、控訴人は、本件換地問題についての土地区画整理組合に対する当初からの不平不満を、繰り返し持ち出して、いつまでも自己の要求に固執しているに過ぎないものであり、その控訴人の不満ないし要求なるものも、必ずしも首肯するに足りる理由があるものとも認められず、そのような形で紛争が継続しているからといって、その間乙、丙土地が社会通念上使用収益も処分もできない状態であったとは到底認められない。

当審証人天野博の証言も、控訴人の主張を裏付けるに足りるものではなく、ほかに右主張を認めるに足りる証拠はない。

3  また、控訴人は、土地区画整理組合が乙、丙土地の農地転用を妨害していたとも主張するが、土地区画整理組合の役員が農業委員会の委員をしていたことなど、控訴人主張のような事情があるからといって、土地区画整理組合がその農地転用を妨害していたことが裏付けられるものではなく、ほかに右主張を認めるに足りる証拠はない。

4  したがって、乙、丙土地についても、租税特別措置法三七条一項を適用すべき事業用資産性は認められないというべきである。

第四結語

以上により、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 志水義文 裁判官 高橋史朗 裁判官 納谷肇)

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